dance-pt
- Fairground Projection -

   
どんな場所においても、
この時空間を日常感覚の世界から結界し、
場の維持(keep)と守衛をおこなうことによって現れる、
非日常的時空間。

一体感と、癒しに満ちた場であり、
生命を踏む踊り=舞踏の場であり、
原初的な演劇舞台。




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2010.06.21 Monday - -
プレイバックシアター(PT) とは・・

プレイバックシアターは即興による舞台芸術です。 ここでいう舞台とは、高密度のエネルギーがセットされたトランスパーソナルな場・空間のことです。参加者はアクターとなって、テラー(自分のお話を語る人)の物語を演じるため舞台上に立ち、今聴いたばかりのお話にもとづいて自由に表現します。 すると、「演技力」とは関わりなく、アクターの実存的なエネルギーが発動して、ステージ上に真剣で誠実な即興表現のフィールドが生まれます。 テラーはこのフィールド上に現れる自分自身の人生を見つめることで、新鮮な気づきや生きていく力を得ることができます。 演じるということがまったく初めての方でも、いつのまにか表現できてしまう楽しい方法です。 プレイバックシアタープロデュース  橋本久仁彦

2009.10.01 Thursday 00:02 テーゼ -
ダンスPT ワークショップ ご案内 


ダンスPT ワークショップ ご案内

新しい『場』が生まれます

いま、この場で語っている語り手(テラー)の内面の表象(シンボル)を
そのまま「リアルな存在」に素描(デッサン)するプレイバックシアター。


   シンボルは、シン‐ボルsym-bole
   元々は二つに分けられたものという意味
   その片割れを持ち寄った者同士がそれを合わせることで
   互いを認め合うことができる、それは一種のパスワードのようなもの

   デッサンは、デザインと語源がいっしょで、デ‐サイン
   元々の意味は、記号に表現する
   思考概念の組立を言語的に行ってから、表現に移すのではない、みたい

自分流リラックスダンスとプレイバックシアターの基礎 は、
ちいさな、ちいさな、フェアグラウンド・プロジェクトの、始まりです。


朝と夜の身体で、
リラックスダンスから、 そのまんま、プレイバックシアターへ。

リラックスした身体の動きには、うまい、へた、はない
じぶんの、そのまんまの動きが、現れてくる、ようです。

そのひとのそのままから生まれる一瞬一瞬の動きや流れは、本当に 「美しい」 です


デッサン画の、シンプルな線描に、なぜか強烈に・・魅せられるのと似ています。
画家と、モチーフとの、一体感(原初的摸倣にも似た)による線描には、
じぶんの体験やまだボリュームアップし得ないイメージが感じられ、

モノクロの線の余白には、多彩な色が、そして音やにおいや温度まで想起されます。



    ダンスPTの後は、自分の身体を、周囲の見慣れた景色を、
  どのように、感覚し始めるのでしょうか?

  よかったらご一緒しませんか。どなたでも、どうぞ。。  お待ちしてます 




【 ワークショップ詳細 】

 日 程 : 2009年 5/276/107/158/199/16
        10/1411/1812/9、2010年 1/202/17 
 時 間 : 10:0013:00 場 所 : 高槻現代劇場  参加費 :  5,000 
 テーゼ :  非日常空間(ハレ)の中で、
        ふつうの人が互いに、語り踊り癒し癒され、

        終わると日常()にもどってゆくように  〜 
         
 対 象 : ダンスやプレイバックシアター経験不要 どなたでもどうぞ。
 講 師 : 橋本久仁彦さん(国際プレイバックシアターIPTNプラクティショナー)
        PTプロデュース、シアター・ザ・フェンス代表 
http://ptproduce.com/
   

 申 込 : 松岡弘子 メール hiroko815@mail.goo.ne.jp 電話080-3786-3037
 
主 催 : ふりーすぺーす http://basic-encountergroup.blog.drecom.jp/

                 


2009.10.01 Thursday 00:01 ws comments(0)
感想Impression 2009.9


先日のフェンスショーにて。
橋本さんのコンダクティングのもと、
昼と夜のクラスから5人、初舞台に立ちました。

このメンバーで顔を合わすのは今回が初めてで、
ただただそのまま舞台に立ち、地面を踏みしめ、
静謐な舞台に祈りを捧げた、そんな時間でした。


 心強い応援や、温かく見守ってくださった皆様方。
 感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。


初舞台はとても緊張し・・もうドキドキでした。が、
終わって円になり、わーっと互いにふれ合ったとき、
一気に、自分の内側から、なにかがこみ上げてきて、
それは、人と人の間(ま)で実感した存在への信頼でした。

フェンスショーの最終日、@高槻会場(食堂南風楽天)で開催された、
「死者の魂を踊ることは可能か?」の中で、橋本さんが話されていた、
【自動詞的な表出】という岩下徹氏の言葉が、今、印象に残ってます。




2009.09.30 Wednesday 00:00 Impression comments(0)
感想Impression 2009.7


テラーの口伝によって語られた物語が、
「舞台」とよばれる場で自由に即興表現されると、
パフォーマンスを観たテラーの内側では、新たな感受性が生まれ、
再現とはまたニュアンスが違う新らたな体験をするようかのように感じました。

その舞台上には、確かに語ったテラー自身の物語は、存在していて、
「語って観る」ことによって、体験の影に隠れ疎外していた「自己」を、
自らの手で静かにかつ革命的に解放してくかのようにも感じました。

観客として、その場で観てた人にも
舞台上で即興表現したアクターの人にも、
プレイバックされた物語に宿ったエネルギーを感じることによって、
新しい生命体のような感覚や感受性が宿るようにも感じられました。

そのことは、構成的舞台装置や演出を必要としない所以であり、
だから、どんな場所でも、このような「舞台」は出現可能であり、
なので、これは、再現不能な1回性(偶然性)の舞台芸術なのかもしれない・・と。

でも・・・何度経験しても、
わたしには舞台でアクティングすることは結構エネルギーが必要で、
存在をさらけだし意識を開くことは、時には痛みを伴ったりします。

それでも・・
そんな自分を体験できる「機会」はとても貴重で、
新しい何かが生まれたり、動き始めたりします。

なんか、そのことが、めちゃおもろいなぁ〜 って、思えました。


2009.07.16 Thursday 00:00 Impression comments(0)
感想Impression 2009.6


昼のクラスで、耳にした「内側から出てくるオドリ(ダンス)」。
夜のクラスで、耳にした「日常と非日常、内と外を出入りする感覚=視力」。
このふたつの言葉が、リンクしながら、いま、残像となって、在ります。


カラダの奥から出てくる一見奇妙な動きは、なぜほかの人と深く共振するんだろう?
これは、いったい、なんなのだろう?

そのような動きは、内と外、心とカラダ、自他などの区別を、
越えていくゲートのようで・・。
そのゲートの先の世界=場は、
さっきまでいた日常の場とは、どんな関係があるのか?


形態は違うけれど、
非構成のエンカウンターグループのプロセスにとてもよく似ているようで。

謎につつまれた命題は、もう少しそのままにしておいて、
今後のクラスに、自分の身をおいてみたいとおもいます。


そして、もう1点。
幼い頃、叔父に連れられて、海でよく、冒険をしたのですが、
なんども危険な目にあって、今度こそヤバイ・・(笑)の連続でした。が!
なのに、私はそれがとても楽しくて、いつも叔父を真似ては、そばを離れませんでした。

日常の感覚だけでは向かえないあのスリルと、微細なシグナルをキャッチするあの感覚。

カラダの奥深いところから出てくる微細な動きに、カラダをそのままゆだねて動くのと、
これもどこか・・・・、似ているように感じています。


深く共振する「場」と、日常の「場」を、行き来しながら、
これからも、そんな?や、こんな!の『視力』を、
深めていけたらと、おもいます。

2009.06.11 Thursday 00:01 Impression comments(0)
感想Impression 2009.5


カラダを動かして生まれる、どのようなムーブメントも、相手からダメ出しがなく、
むしろ、じぶんの身体やエネルギーに添うように、相手も動いてくれるので、
ふしぎと、とても大切に接してもらってるように・・・感じました。
なにかなつかしい原初的な接触感覚でした。

ワーク全体の場のなかでも、じぶんのそのまんまの動きを、
大切にしてもらえてるように感じられて、嬉しくて、とても楽しく感じられました。
じぶんの中でも、じぶんのそのままを大切にしたいという感覚が、生まれてました。


はしもとさんの発する言葉の数々も、
耳を通ってすーっと、カラダに入っていくようで、そのこともとても印象的でした。


「舞台」を設定していただいて、オドルと、「場」は、確実に、変わるんですね。
結界することによって出来上がった舞台の上では、
ふたりの場=関係性は、より自由度が増すみたいで。
相手を感じる感度も、なぜかUPしてて、気がつけば・・
自分で仮枠してた、限界や、制限を、じわじわ押し拡げるように、動いていました。

でも・・頭の方はいまだ、想わぬ自分たちの動きについていけてなくて混乱してて、
思考は容易に自由になれないんですね・・(-_-;)。
混乱したまんま、次第に・・思考停止状態(瞑想的なのかな?)になっていました。


持ち場でオドル→「舞台」でオドル・・の流れから、動く彫刻へ、入っていくのも、
おもしろいなぁって、おもいました。。


彫刻を、観客側で観てた時に感じたのですが、
想像する力って、意志する力より、ずっとパワフルなんだ、なぁって、感じました。
今の社会は意志する力を重視しがちだけど、想像する力、すごいな〜って、おもいました。
想像(内面の世界の表象)が、具現化する、あの時のエネルギーは、すごいですね。。
観客もそれぞれ自分の想像(内面の世界の表象)を舞台に観て、おお〜っとかなってるし。

絵本では、メルヘンやファンタジーの世界が、絵と、読み手の存在で、
感情的なエネルギーまでがおのずと喚起されて、世界がたちまち、具現化し始めるんです。
これは、絵と文字を目で追うだけではそこまで、世界は具現化しないしエネルギーも違う。
わたしは、幼い頃、絵本を読んでもらった経験がないのですが、
絵本文庫の主宰の方、お会いすると絵本を読んでくれるんです(*^−^*)
たとえどんな物語でも、その、時間、とても、好き。。。


アクターとして舞台で動く経験は、
観ているときとは想像できない別世界ですね。
じぶんが、そして、じぶんたちが、
どのように見えるかは、考える余地はなくて。

舞台上でしか、情報は得られないし。

「イメージ」に、自分が、なっていくというのは、
意志からどんどん離れていくこと・・なのかなぁ。


2009.05.28 Thursday 00:00 Impression comments(0)